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【ホライゾン学園】3月2日提出、原告第17準備書面

渋谷区立神宮前小学校の一部を私立インターナショナルスクール(ホライゾン学園)に無償使用させている神宮前国際交流学級事件(ホライゾン学園)の住民訴訟は、実態審理が進んでいる。
しかし被告・渋谷区は、いまだに当該職員、財務会計上の行為等の本案以前の問題を主張するので、原告側も一応反論をした。原告弁護団は被告・渋谷区の無知に呆れている。
そして今や、かかる形式論ではなく、トルコ大使館に対する調査嘱託が実施される等、裁判所は実態審理を進めている。

本書面は、被告の準備書面(13)に対する反論である。

1 渋谷区行政財産使用料条例について
(1)被告は、渋谷区行政財産使用料条例5条本文の「区長及び教育委員会」は、「区長または教育委員会」と解釈すべきであり、その理由として、渋谷区では、教育財産に係る使用料条例とその他の財産にかかる使用料条例を、別個に定めず一つの条例として制定し、区長の使用料減免権限と教育委員会の同権限を一つの条文に定めたためである旨主張する。
(2)法令の解釈は、まず、その文言に従って解釈されるべきであることが大原則である(文理解釈)。しかし、法令は、その性質上、一般的・抽象的文言で表現されざるを得ないが、具体的事案に即した場合、法令の文言どおりに解釈することは、社会的に不合理、不都合な場合があり得る。このような場合には、法令を杓子定規に解釈するのではなく、適宜必要な修正を行い、社会的に見て不都合な結果をもたらさないように解釈する必要がある(論理解釈)。
 しかし、「A及びB」と「AまたはB」は意味が違うことは誰でもわかることであり、「A及びB」という表現であるにもかかわらず、「AまたはB」と解釈しなければならないという事態は通常あり得ない。
 「A及びB」なのか、「AまたはB」なのかは、条例作成にあたっては基本的な問題であり、条例の提案ないし審議にあたっては、十分に検討されたはずである。
 2つの異なる条例を1つにまとめ、権限者の異なるものを1つの条文に定めたのであって、もともと「AまたはB」の趣旨であったのであれば、最初から「AまたはB」と定めれば済んだことである。
 条文が「A及びB」になっているにもかかわらず、それを文字通りに解釈したら都合が悪いので、「AまたはB」と解釈すべきであるという被告の主張は、場当たり主義であり、あまりにも安直である。
(3)被告は、原告のように解釈した場合には、区長部局の行政財産も教育委員会に使用料減免権限があることになり、そのような解釈は妥当ではない旨主張する。
 確かに、被告が主張するように、区長部局の行政財産について教育委員会にも使用料減免権限があるというのは不都合で、この場合は、文言にかかわらず、「AまたはB」の趣旨と解釈し、区長部局の行政財産については、区長に使用料減免権限があると解釈すべきかもしれない。
 しかし、だからと言って、教育財産だから教育委員会に使用料減免権限があり、区長には同権限がないと解釈するのは短絡すぎる。
 前述したように、法令解釈の原則は文言解釈であり、論理解釈はあくまで例外である。従って、論理解釈しなければならない事態は、なるべく制限すべきであって、いたずらに論理解釈の枠を広げるのは拡張解釈に該当し、正当な法令解釈ではない。
(4)問題は、教育財産については、「区長及び教育委員会」に使用料減免権限があると解釈すること(文言解釈)は不合理であり、「教育委員会」に権限があり、区長にはその権限はないと論理解釈すべきかどうかということである。
 準備書面(9)の6頁以下で指摘したように、教育委員会の委員は、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命することになっていること、教育長が事務局の長となって事務局の実務を統括していること、教育長は職員と兼務が可能であること、などから、事務局の長である教育長が教育委員会の実権を握ることになり、地方公共団体の長は、教育長を通じて教育委員会を支配しているというのが実態である。
 かかる実態を考えれば、「区長及び教育委員会」の両方に使用料減免権限があると解釈しても何らの不都合もない。
 法的に見ても、準備書面(9)の3頁以下で指摘したように、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」28条1項の「教育財産は、地方公共団体の長の総括の下に、教育委員会が管理するものとする。」という規定、公有財産に関する長の総合調整権を規定した地方自治法238条の2を考えれば、渋谷区長は、教育委員会に対し、「公有財産の管理について、報告を求め、実地について調査し、その結果に基づいて必要な措置を講ずべきことを求めることができる」のであり、教育委員会に対して指示権限を有している。
 従って、法的に考えても、「区長及び教育委員会」の両方に使用料減免権限があるとしても何らの不都合もない。
(5)従って、教育財産の使用料減免権限は、文言どおり、区長及び教育委員会の両方にあると解釈すべきである。いたずらな拡張解釈は許されない。

2 工事内容等の決定行為の財務会計行為性について
(1)被告は、契約の締結は支出負担行為に当たるが、「使用部分、工事内容の決定は、これらによって工事代金が定まることがあるとしても、地方公共団体の支出の法的義務が形成されることはないのであるから、これらの決定をして支出負担行為に当たることはできない。」と主張する。
 使用部分、工事内容の決定があっても、最終的に契約締結に至らなければ、そもそも地方公共団体の支出の法的義務が形成されるという事態はないのであるから、支出負担行為に当たるかどうかの議論をすることの意味は全くない。
(2)問題は、本件のように、使用部分、工事内容の決定があり、これに基づいて契約が締結され、請負工事費などが支払われた場合に、どう考えるのかということである。
 被告も認めているものと思われるが、使用部分、工事内容の決定は工事代金を定めるにあたって最も重大な要素である。行政における公金の支出を考えれば、公金支出担当者は、公金の支出の是非を判断する権限などはなく、各担当部門などが決済を受けて締結した契約などに基づいて支出している。公金支出担当者は、決裁書や稟議書などの書類などが完備しているかという形式的、手続的面はチェックするが、当該契約が必要かとか、支出金額が妥当かとかという支出行為の内容にまでは立ち入らないのである。
(3)被告は、支出前の決定行為を非財務会計行為とすれば、住民訴訟が機能する場面が殆どなくなるから、支出前の決定行為も住民訴訟の対象とされなければならないという原告の主張に対し、かかる主張は立法論にほかならないという。
 無知の極みである。
 原告の主張は、財務会計行為の出発点である支出負担行為の範囲をどこまで考えるべきかという当然の解釈論をしているのである。そもそも、使用部分と工事内容の決定は、予算の範囲等、教育委員会に与えられた権限に基づいて、教育委員会により決定され、前記のとおり、これが支出負担の具体的内容になるのであるから、上記決定は、まさに支出負担を特定する支出負担行為そのものと考えることを地方自治法は求めているのである。
 被告のように、財務会計行為が、あたかも支出行為に還元されるかのように論ずることになれば、住民訴訟の対象となるのは、重要な書類が揃っていないにもかかわらず支出したとか、金額を誤って多く支払ってしまったとか、という支払担当者における故意過失しか対象とならず、当該支出行為の内容などは不問に付されるという極めて不合理、不都合な事態となることは明らかである。だから、原告は、「住民訴訟が機能する場面が殆どなくなる」と言ったのである。
被告は、己の不条理を知るべきであろう。
以 上


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無知を装った、法匪の抵抗

渋谷区の代理人弁護士たちは、無知なのではありません。
おそらく代理人の最後の抵抗なのでしょう。
法廷での小手先の技術です。
彼らには法律家の良心などはありません。
区民の区立小学校に関する、区民の訴えを、
頭から排除しようとする、「法匪」というべき輩です。
区民の税金から支払われる、弁護士料金によって、
このようなことが行なわれています。
区民に、
民主主義を否定する、
渋谷区行政の法廷での振る舞いを、
もっと知らせましょう。

大震災のために集まった義援金

この団体が日本の被災者のためにトルコで集めた義援金(約5000万円と言われています)の一部を自分たちの団体の家族(被災地、東京等問わず)の日本からトルコへの避難のために使用したというニュースが入ってきました。「被災者を放射能で危ない日本からただちに避難させた。政府ができなかったことを団体ができた」と、また団体のテレビで宣伝材料としても使っています。義援金の残額の行方も気になります。ちゃんと被災者たちに届いたらいいのですが。

複雑です

渋谷オンブズマンの活動を平素より応援しています。

しかし、本日は この「ホライズン学園」問題を取り巻く、すこし複雑な点を書きます。
神宮前小学校における「ホライズン学園」の無償使用問題は、我々一般区民にとって 不明瞭な経緯でもって決定されてしまった点を 確かに憂慮しています。区長・教育委員会などの関与者の責任について、糾弾されるべきと思います。

しかし、一方で 最近、私個人 神小での活動に携わる機会があり、この国際学級の現在の運営の様子、また 神小関係者や 青少関係者などとの連携などを見たり、聞いたりしていますと、この「学園」の存立経緯は別として、現場(教諭など)は非常に円滑な運営を頑張っていますし、またその努力が奏功し、「学園」とその他現場関係者たちとの 良い関係が確立されている部分も見受けられます。
現場としては、その経緯のいかんと切り離したところで、取り敢えず 自分の与えられた職務に励む、という崇高な姿勢があるのだろうと考えます。

そうなると、「学園」の決定経緯については責任究明がおこなわれるべき、と考える一方で、今現在すでに存在してしまっている学園の良好運営とが、皮肉な二律背反を起こしてしまっていることが、残念でなりません。

現場としては、非常に痛し痒しといいますか、非常に複雑です。
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