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【羽澤ガーデン】文部科学大臣に上申書を提出

羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会が、8月に文部科学大臣宛に、羽澤ガーデンの解体阻止に関して、同大臣と面会を求める上申書を提出していたことがわかった。内閣総辞職があったので、面会はまだ実現していないが、更に同大臣に積極的に働きかけていく方針である。


文部科学大臣 高木義明殿

羽澤ガーデン解体に関する上申書

2011年8月

羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会
総務理事 栗山尚一(元駐米大使)
総務理事 前野まさる(東京芸大名誉教授)
事務局担当理事 斉藤 驍(弁護士)

羽澤ガーデンは、都心唯一の第一種低層住宅地である渋谷区広尾の丘の南側斜面にあります。約3千坪の庭には鬱蒼たる森があり、本館は大正4年に建築された武家造りでありながら、マントルピースの洋間や欧州産のガラスを多用したモダニズムが漂い、明治・大正・昭和初期を代表する建築です。これは満鉄総裁、東京市長等を歴任し、夏目漱石の無二の親友といわれた中村是公の旧邸です。
第二次大戦後、GHQの注目するところとなり、各国大使を含め、その妻女に日本文化を伝えるカルチャーセンターとなりました。昭和25年より料亭となり、「羽澤ガーデン」と称するようになりました。
この近代和風の建築と庭を活かした料亭は、将棋や囲碁の名人戦の舞台となったばかりでなく、歴代総理大臣を始め、各界の知名の士から市井の人に至るまで、数多の人々の交流と懇親の場となっていました。
ところが、ここを所有している株式会社日山は、特段の説明もせず平成17年末に料亭を閉鎖し、平成19年3月、三菱地所株式会社とともにここを取り壊してマンション開発を行う計画を卒然と表明しました。
羽澤ガーデンの建物と庭、そしてこれを包む羽澤の町並みの景観と文化の質は極めて高く、それゆえに周辺住民にとっても、また訪れる人々にとっても得難いものでした。ですから、近隣住民は裁判に訴えてこの開発を阻止しようとし、我々は知的文化的世論をもって羽澤ガーデンを守ろうとしてきました。
幸い、自民党政権から民主党への政権交代があり、川端達夫前文部科学大臣とは2009年10月、2010年4月と2回にわたってお会いして、同大臣のご理解とご協力を頂くことが出来ました。まだ私どもの求めている重要文化財指定はなされていませんが、そのための調査は行われているはずです。
一方、近隣住民の裁判では、昨年11月22日、史上初めての裁判所による文化財たる羽澤ガーデンの現場検証がなされて、これに基づいた専門家による鑑定が引き続いて行われ、本年3月11日、つまり東日本大震災の日に鑑定書が裁判所に提出されました。これによれば、羽澤ガーデンはかけがえのない重要文化財であり、特別名勝であるとされています。
裁判においても、また世論においても、まさに現代が要求している環境と文化のシンボルとして羽澤ガーデンを守るべきことが明確となっています。ところが、日山と三菱地所は、鑑定が公表された直後から秘かに建物の解体と樹木の伐採、庭の取り潰しの準備の準備を進め、7月7日、是公邸の登記は当然のことながら「居宅」であったものを、にわかに「倉庫」と書き換えて偽装し、あたかも建物が重要文化財とは程遠い倉庫でしかないのだという演出等、建物解体のための言動を公然化させつつ、ついに8月5日、渋谷区に対して「建物解体計画書」なるものを提出して、本年10月1日より解体工事に着手することを公式に表明したのです。
かけがえのない羽澤ガーデンの建物と庭を取り潰すことは、これ自体文化財保護法、都市計画法等から見て到底許されないことです。今まで述べてきた経緯、特に裁判所の検証という重大な手続と、それによりなされた鑑定結果の存在に対抗して行われようとしているこの建物解体工事は、不法かつ犯罪的なものという他はありません。しかも木造建築物の解体や樹木の伐採がなされてしまえば、極論すれば瞬時にこれらの文化と景観が失われ、元に戻すことは不可能です。
したがって、解体される前にこの暴挙を阻止しなければなりません。文化財を守ることを使命とされる貴大臣には、この権限が充分あります。貴大臣の一言で、これを防ぐことが可能なのです。このことを求めて、実情等をお話しする機会を与えていただくよう、衷心から要望いたします。

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隣接の区道拡張へ

http://twitter.com/TOKYO_Shimbot/status/144646118532333570

約16万平方メートルの園内には、約4千種の植物が研究対象として育てられている。昨夏、悪臭を発する巨大な花「ショクダイオオコンニャク」の開花が話題となった。
北西と南東に伸びる長方形の敷地。東大埋蔵文化財調査室の資料によると、前身で1684年開園の「小石川御薬園」からその形状はほとんど変わっていない。「明治維新以降は同じ」と前園長の邑田仁東大教授は言う。
その敷地の一部を削るきっかけは、同園の塀。戦後、コンクリート製になって60年以上が経過。数年前から「老朽化し不安。見た目も汚い」と苦情が近隣住民から出ていたが「所有者は東大」(文京区道路課)、「資金がない」(東大施設企画課)と話は進まなかった。
文京区は2009年、緑豊かな街づくりのための事業として、国の交付金を得て、総額約5億円で塀と歩道を整備することを提案。対価として東大は、植物園の一部を区道用地として文京区に無償で永久貸与することで合意。2009年12月、協定を結んだ。
その後、南東側と南西側の敷地を平均幅1.5メートル(最大幅2.9メートル)で全長890メートルにわたり、1200平方メートルを文京区に貸与することが決まった。
工事は5ヵ年計画。3年で塀をフェンスに変えた後、2年で区道の歩道を拡幅する。
同園西側の町会「白山御殿町睦会」の島川健治会長は「今の塀は見た目も悪いし倒れたら危ない。中が見えるフェンスに変わるのはうれしい。歩きやすくもなる」と喜ぶ。
工事では、植物園の樹木71本が伐採される。ほかに47本は植物園内に移植され、117本が枝切りされる。同園で植物の世話を担当する樹木園主任の山口正さんは「自然に生えた雑草も大切な研究対象。一度失うと戻らない。現場の声を聞いてほしかった」と指摘する。
市民団体「小石川植物園を守る会」は工事中止を求めて、来園者ら約2000人の署名を集めており、近く東大と文京区に直訴する。同園東側に住む同会の稲葉信子さん(57)は「敷地そのものが歴史的遺産なのに削るとは。文京区は緑を豊かにという名目で、緑を削ろうともしており、おかしい」と話している。

小石川植物園に寄せて

http://www.m-fujiwara.net/blog/2011/12/post-45.html

小石川植物園の存在が危機に晒されたのは過去において二度ほどある。従って「植物園が駄目になれば、周辺も人間の住む所ではなくなる」という主旨の周辺住民の「小石川植物園を守ろう」とする、市民が民主主義社会の中で持つ権利を表現する行為には相応の歴史がある。

最初は1987年に植物園の南東の敷地を三角形に切り取って長さ約300m 幅20mの道路計画と、その道路計画と並行して、冬季の午後植物園の南東部の日照を奪う高さ80m 24階建ての共同住宅建設計画が持ち上がった時である。

1987年3月26日の朝日新聞を参照すれば、この時には当時の岩槻植物園長は一研究者として守る会と歩調を合わせ、文京区長に対して「これらの計画が園内の植生に悪影響を与え、教育研究施設としての価値を損なう」とする計画見直しの陳情書を提出していた。

又、生徒たちを引率して植物園を訪れる豊島区立文成小の当時の納田校長は「区部で自然観察ができるのはここだけ。周辺の再開発で地下水と日照が悪くなると植物は生気を失ってしまう」と守る会に期待していた。

更に、当時の東大の有馬理学部長は「長い歴史で国際的に有名なロンドンの植物園、キューガーデンより当園は古い。欧米の都市計画は植物園周辺での中高層ビル建設を禁じているが、日本では殆ど規制がない。住民の運動は本当に有難い」と守る会に感謝の意を表明していた。
この三者の、計画によって小石川植物園が悪影響を受けることと、研究や教授という植物園本来の意義が損なわれることに懸念する態度は、学識者又は学術研究者として当然というものではあろうが、その良識に対して畏敬の念を禁じえない。

二回目は、2003年に植物園の北西部、つまり丘陵地勢の上部に隣接する10,650m2の敷地に、ある不動産会社が地上四階地下一階の共同住宅の計画をし、植物園の湧水など地下水脈が途絶えるかもしれないという危機に晒された時である。

2003年8月27日の毎日新聞と同年9月4日の朝日新聞を参照すれば、植物園側は当初は影響が出る可能性は極めて少ないとしながらも、計画された面積の広い敷地が植物園の上流に位置することから、将来的には何らかの事態で地下水が減少する可能性はあるとみていた。
当時、植物園後援会会長であった小倉東京農工大名誉教授は、共同住宅の地下部分が地下10m付近にある礫層に達し、地下水の流れを阻害すると指摘し「植物園内の湧水・地下水脈に重大な影響を与える」ことの無いように計画変更を文京区や計画業者に求めるよう、当時の邑田園長に申し入れをしている。

これらの動きに触発されて文京区は「震災時の地域住民の防災拠点になっており、関東大震災でも湧き水、地下水が消防などに活用された実績があり、地域住民の関心は非常に高い」として計画業者に、植物園の地下水への事前影響評価の実施を要請し、その結果を区に報告すると同時に、地域住民に説明をすることを求めた。

1987年の計画道路も2003年計画の共同住宅も建設されていない。住民の良識が客観性を持っていたということである。共同住宅が現在は建設されていないとしても、工事用の塀が存在する限り、将来的に道路事情などの変化によってその建設が復活するという可能性もある。
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