スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【羽澤ガーデン】裁判官忌避

羽澤ガーデンの環境行政訴訟において、原告は、民事38部の定塚誠裁判長及び右陪席の小林邦夫裁判官に対して、裁判官忌避の申し立てをした。以下忌避申立理由書である。


平成23年(行ク)第271号 裁判官忌避申立事件
(本案 平成19年(行ウ)第648号ほか)
申立人 橘 充自 ほか30名

忌避申立理由書

東京地方裁判所民事第12部合議係 御中
平成23年10月14日
 
申立人ら訴訟代理人 弁護士 斉藤 驍
ほか 別紙代理人目録のとおり

はじめに――本件の特徴と主な経緯

1.本件は、渋谷区広尾3丁目にある約3千坪の羽澤ガーデン(旧中村是公邸)の文化財とみどりの景観を破壊して、その所有者である株式会社日山(以下「日山」という)および三菱地所株式会社(計画当時。現在事業主体は株式会社三菱地所レジデンスが承継、いずれも「三菱地所」という)らがマンション開発を行おうとすることに対して、近隣の住民等が東京都、渋谷区に対し、羽澤ガーデン及びその周辺のみどりと文化に包まれた生活環境を守るために、平成19年10月、開発許可処分等の差止め等を求めて提訴した事案である。

2.羽澤ガーデンは、都心唯一の第一種低層住宅地である渋谷区広尾の丘の南側斜面にある。約3千坪の庭には鬱蒼たる森があり、本館は大正4年に建築された武家造りでありながら、マントルピースの洋間や欧州産のガラスを多用したモダニズムが漂い、明治・大正・昭和初期を代表する近代和風建築と言われていた。これは満鉄総裁、東京市長等を歴任し、夏目漱石の無二の親友、中村是公の旧邸である。
第二次大戦後、GHQの注目するところとなり、各国大使を含め、その妻女に日本文化を伝えるカルチャーセンターとなった。昭和25年より料亭となり、「羽澤ガーデン」と称するようになった。
この近代和風の建築と庭を活かした料亭は、将棋や囲碁の名人戦の舞台となったばかりでなく、歴代総理大臣を始め、各界の知名の士から市井の人に至るまで、数多の人々の交流と懇親の場となっていた。羽澤ガーデンの建物と庭、そしてこれを包む羽澤の町並みの景観と文化の質は極めて高く、それゆえに周辺住民にとっても、また訪れる人々にとっても得難いものである。

3.近隣住民の裁判は共感を呼び、羽澤ガーデンにゆかりのあるみどりと文化に係る人々を中心に、平成20年10月、「羽澤ガーデンの文化財と景観を守る会」を結成し、栗山尚一(元駐米大使)、前野まさる(東京芸大名誉教授・前日本イコモス委員長)、有馬冨美子(中村是公嫡孫)、半藤一利(作家)・末利子(夏目漱石孫、エッセイスト)、福川裕一(千葉大大学院工学研究科教授)等が、知的文化的世論をもって羽澤ガーデンを守ろうとしてきた。
自民党政権から民主党への政権交代があり、川端達夫前文部科学大臣とは2009年10月、2010年4月と2回にわたって会見して、同大臣の理解と協力を得ることができ、裁判と運動のすそ野は大きく拡がっていた。
昨年11月22日、文化的価値の視点から史上初めての裁判所による羽澤ガーデンの現場検証がなされ、これに基づいた専門家による鑑定が引き続いて行われ、本年3月11日、つまり東日本大震災の日に鑑定書が裁判所に提出された。これによれば、羽澤ガーデンはかけがえのない重要文化財であり、特別名勝であるとされている。
裁判においても、また世論においても、まさに現代が要求している環境と文化のシンボルとして羽澤ガーデンを守るべきことがますます明確となってきた。

4.本年(2011年)4月1日、足かけ4年の間本件の審理を主宰した杉原則彦裁判長及び右陪席角谷裁判官が何故か異動した。この間の審理の特徴は、原告適格等本案前の要件に関する審理にとどまらず、都市計画法、景観法、文化財保護法、都市緑地保全法等に基づく東京都自然保護条例、(東京都)樹木・樹林の保護に関する条例(同渋谷区条例)等の法令及び関係規定の趣旨、目的等を具体的に論じて、開発許可処分等の違法性、さらにはこれを差止める必要性等が審理の対象となっていたことである。
なかでも問題にされていたのが、羽澤ガーデンの文化的価値、それを破壊する開発行為の許可、建築確認処分等、また景観建造物の指定等の義務付けを含めた差止めの是非であった。先述した現場検証は、以上の点につき、約3年にわたる長期の実体審理のうえでなされたものである。原告適格がなければ、もとよりかかる検証はできず、差止め(義務付け)の是非に関わる実体上の争点とされたが故になされたのである。かかる文化的視点の領域でなされた検証は、我々の知る限り裁判史上初のことであり、法廷の内外において極めて高く評価された。
その後、この検証等に基づいてなされた専門家の鑑定も歴史的なものであり、同鑑定は前記のとおり羽澤ガーデンが重要文化財、特別名勝に相当する文化財であるとともに、そのみどりの景観は、東京都自然保護条例のいう自然地が1千㎡の4倍を超える豊かなものを有すると判断した。このため、裁判所の心証形成が積極になされたことがうかがわれ、原告等の差止め(義務付け)の請求の主張、立証は山場を越え、判決まで今一歩のところに迫っていた。申立人ら原告は、判決は当然長期の審理を主宰してきた杉原則彦裁判官を裁判長とする裁判所によってなされるものと考えていた。このような時に、前記のような裁判官の全面的な交替がなされたのである。

被申立人の公正な裁判を疑わせる事情

1.杉原裁判長から定塚裁判長へ、裁判所の激変
新しく裁判長に就任したのは本件の被申立人定塚誠、右陪席小林邦夫である。
被申立人定塚の簡単な経歴は以下のとおりである。

司法修習 37期
(略歴)1997~2004 最高裁判所行政局・総務局
(行政局参事官→総務局参事官兼務→行政局第二課長→行政局第一・第三課長)
2007~2009 東京地裁(部総括)
2009~2011 最高裁判所事務総局情報政策課長

被申立人定塚の略歴を見てすぐ分かるとおり、1997年以降14年のうち、裁判の現場にいたのは2007年から2009年だけで、その余はほぼ最高裁判所事務総局の要職を経由し、直近は情報政策課長という司法官僚の要というべき部署を取り仕切っていたのである。
また、右陪席小林邦夫の略歴は次のとおりである。

司法修習 46期
(略歴)1996~2005 大阪地裁、大阪法務局訟務部付検事
2005~2008 東京地裁
2008~2011 大分地裁・家裁中津支部長

訟務検事歴が9年と長く、裁判官としての職歴は3年ほどに過ぎない。国側すなわち行政の中枢部の訴訟代理人をしていた者が東京地裁の行政専門部において、右陪席であれ裁判官となった例は、我々は寡聞にして知らない。
このような経歴を持つ被申立人を、しかも裁判官というより訟務検事といったほうがよい者を右陪席につけて裁判長に据えたことは、憲法第31条、同32条との関係、訴訟法における直接主義の原則との関係において、その是非が問われるものであるばかりでなく、前例のない異状かつ不合理な人事であった。
これは、4年近くにわたり審理がなされ、遠くない時期に判決が出ようとしていた流れを行政側、開発側へ逆流させる底意があり、被申立人定塚誠も充分これを承知していたことは、その経歴、本件における就任の時期だけからしても疑わせるに充分であった。

2.弁論の更新における手続の曲解と敢えてした内容の無視
そのため、申立人等は、この人事の疑義をただし、従前の弁論の重要な部分を明確にして再現するために、本年5月24日午前11時から12時、7月6日午後3時から4時30分と2回にわたり弁論の更新を行った。
しかし、人事についての疑義は基本的なものであり、新任裁判長となるべき被申立人が最も真摯に応答しなければならないところ、このような姿勢は全く見せず、「決まったことだから」というばかりで、嫌悪の色さえ漂わせていた。権力的世界にいたこともさることながら、そこから現場の裁判を指揮しなければならない立場に立った裁判官が持つべき自覚がほとんど感じられなかった。
これは、従前の裁判の弁論の内容になって、さらに明らかになった。羽澤ガーデンの文化的景観的価値が杉原前裁判長ら3人の心にも刻まれた現場検証の文化的・法的意義を、鑑定の中で発掘された中村是公の鎌倉別荘等の新しい関連証拠を示して話をしても、ほとんど関心を示さず、従前の弁論の重要不可欠なものをみようとしなかった。いたずらに時間を気にして、早く終わらせろと督促する程であった。すなわち、2回の弁論更新は、被申立人の姿勢が従前の裁判を尊重し、事実をよく見て公正な判断をするのではなく、その反対である疑惑をさらに強めるものであり、申立人らの単なる杞憂ではなかったことをはっきりと示したのである。
しかし、本件の争点について申立人は新しい証拠もあり、地震、原発事故以降の政治的社会的状況の激変等も考慮し、被申立人の裁判官としての良心が一片でも具わっていればと考え、弁論の更新後は弁論を試みる所存で、10月11日(火)午後2時の口頭弁論期日指定に応じたのである。

3.羽澤ガーデンの解体の黙認から加担人へ
(1)8月9日、本案被告渋谷区から8月5日付で三菱地所レジデンス株式会社より10月から羽澤ガーデンの建物と庭を全面的に取り潰す解体工事計画届出書が提出されている旨の上申書が、同届出書の写し添付のうえ裁判所に提出された。この写しの送付をうけて、申立人らの知るところとなった。
この計画自体、申立人らのみならず本件訴訟に対する不条理極まる背信であった。羽澤ガーデンの文化と景観を大切にしている全ての人々に対する無法な挑戦でもあったことはいうまでもない。
(2)本件忌避申立事件においては、その前に確認しておくことがある。そもそも渋谷区は、この上申書をなぜ提出しなければならなかったのかということである。それは、杉原則彦前裁判長が、訴訟指揮権の行使として、一昨年以来三菱地所等関係事業者の開発に関する新しい動きがあれば直ちに報告することを命じ、渋谷区はそれを応諾していたからである。事業者の開発に関する動きというのは、いうまでもなく羽澤ガーデンをどうするのかという問題である。開発許可差止請求の対象となった計画は、羽澤ガーデンを解体、破壊してマンション開発を行うというものであり、羽澤ガーデンの解体、破壊はまさに開発行為の着手になるために、開発許可処分差止の目的が羽澤ガーデンを保全するためであることは、当事者間においても裁判所においても自明のこととされていたのである。かかる前提があるから、検証もなされ、専門家の鑑定もなされたのである。
従って、羽澤ガーデンが出し抜けに解体されたりすれば、訴訟の目的も証拠も失われることになるので、開発に関しては法律上も地元自治体であることからも情報が最も多いと考えられる渋谷区に、前記のような報告を命じていたのである。このことは、事前に情報が入れば当事者はもとより裁判所も適切な措置がとれるからに他ならない。杉原前裁判長の上記命令は、かかるものとして存在していたのであり、被申立人もその引き継ぎをうけていた筈である。
杉原前裁判長のこのルールが本件においていかに大切なものであるかは、誰よりも解体計画の上申をうけた被申立人が自覚しなければならないことは明白である。被申立人は、この上申に対し、渋谷区等本案被告、場合によっては近隣住民である申立人らに真偽や経過をただし、裁判所が執り得る、しかるべき措置を考えたうえ、当事者双方を呼んで対処方を協議すべきであった。前記ルールが求めている裁判所が執るべき最低限の義務である。
しかし、被申立人はかかることを全くせず、事態を放置していた。これが客観的に三菱地所側の計画を助長させたことはいうまでもない。
(3)申立人らは、早速従前の近隣状況を勘案しつつ、調査を進めた。その結果、この計画は東日本大震災、すなわち本件の鑑定書(本案甲178号証)が裁判所に提出されてから間もなく秘かに開始され、重要文化財等と評価されたものをいきなり解体するのはまずいと判断した事業者側は、羽澤ガーデンの建物の歴史が古いことから一部登記に正確を欠くことに着目し、羽澤ガーデンの核心となる文化財、中村是公の旧邸部分(延床約300坪)を、「居宅」から「倉庫」へと全く事実に反する虚偽の登記を7月7日に行い、この建物は文化財と無縁の倉庫であるかのように取り繕い、のみならず、7月20日、非難可能性が最も高い上記中村是公邸部分等文化財関連の建造物群の敷地を、本来の所有者である株式会社日山から三菱地所レジデンスが買い取る形にして、解体のリスクと責任を三菱地所側が引き受けたうえで、解体を実行しようとしていること等が判明したのである。
申立人らは一刻の猶予もないと判断し、9月1日、申立人らと前記「守る会」等が司法記者クラブにおいて解体計画の真相と解体中止へ向けて国民が声をあげるよう求めるアピール(9.1アピール)を発表するとともに、ほぼ同旨の上申書を裁判所に提出し、被申立人に面会を求めた。
ところが、同人は「一方当事者とは会えない」という形式論理も極まる対応であり、杉原前裁判長のみならず普通の裁判官であれば、事態が事態であるだけに、会うことが当たり前なのだが、そうはしなかったのである。それならば当事者双方を呼んで弁論準備の形でもよいから至急席を作って欲しいと申立人が言えば、事業者側と協力してきた渋谷区と東京都が解体中止に向けた話し合いを希望する筈もなく、果たしてその旨の意見を出してきた。被申立人がそれを予期していたのは確実である。今度は本案被告が必要ないと言っているので開かないというのである。期日を開くか開かないかは、なによりも裁判所の権限と責任であるが、その余は黙して語らなかった。被申立人が従前の弁論の経過を勘案し、解体を制止・抑制し、本件の目的物でもあり証拠物でもある羽澤ガーデンを保全しようと言う気持ちがいささかでもあれば、渋谷区等の行政指導を求める勧告をしたり、三菱地所側に対して「検証」等の命令を直接出したりするなど、その方途は容易にある。そこで、申立人らは9月6日に証拠保全の申立をし、以上の事を示唆したが、被申立人が黙りを決め込んでいた。
(4)上記9月1日記者会見の後、マスコミの動きも激しくなった。9月2日に東京新聞、同7日に産経新聞が報じ、17日には朝日新聞、読売新聞等主要な新聞が全て取り上げるようになったほか、フジテレビ等の映像媒体による報道もされた。他方、三菱地所等の事業者側は、裁判所や世論の動向を大変気にしていることも分かってきた。彼らは10月3日から解体を開始するとは言ったが、9月16日(金)午後7時に國學院大學院友会館で開かれた解体説明会においては、10月11日に開かれる本案の口頭弁論期日までは準備行為にとどめて解体はしないと表明した。以上のことは、全て被申立人ら裁判所に告知しており、裁判所の占めている位置の大きさを充分示している。
証拠保全の手続をとれば、三菱地所側が第三者であっても、証人尋問や検証等が可能であるから、抑止効果は充分ある。世論が喚起しつつある時、三菱地所がこれに抗することは不可能であったろう。しかし、被申立人は何も答えず放置を続けたのである。
(5)そこで、申立人から本件行政訴訟の延長線上にある裁判上の手続を起こすことにした。改正行政事件訴訟法(平成17年4月施行)で新設された行政庁に対する行政処分の仮の義務付け(差止め)決定の申立である。環境文化訴訟では初めての試みである。この手続は、「悪用」されず「活用」されるのであればまさに今回の意識的・計画的な文化財等の破壊を制止するうえでは効果的なものである。裁判所の見識と勇気ある公正な判断が特別に強く要請される。被申立人らにそのようなものがあるのか危ぶまれたが、被申立人の一片の勇気と良心を求めて、9月21日(水)申立をし、その後文部科学記者会で会見を行った。翌22日(金)、被申立人に面会を求めたところ、同日午後1時45分から15分程度なら応じるというので、申立人ら代理人団より斉藤驍弁護団長、富田裕弁護士、島昭宏弁護士の3人が裁判所に赴いた。
被申立人は、左陪席澤村裁判官を同席させた。その席で、審理は文書だけ、翌23日(金)から25日(日)が三連休であるから東京都、渋谷区等の意見書は早くても連休明けになることは明らかであるのに、被申立人は「28日(水)に審理を終えて29日(木)には決定をしたい。そうすれば10月3日の解体着手時には東京高裁の判断も出る」という驚くべき発言をした。高裁の結論まで先取りしていること、その日が着手予定である10月3日であるということは、本来の訴訟法のテンポからみて異状であるばかりでなく、被申立人らの「決定」は高裁に対する申立人の不服申立があることを当然の前提としており、この「決定」は申立人らのためになされるのではなく、事業者側のためになされるものであることをほとんど告白したに等しいものであった。しかし、被申立人はあえて早いほうがいいでしょうと言い放った。
代理人斉藤らは、現在の解体の準備状況について事実をあげて説明し、決定は10月3日でも早いくらいであり、拙速は困ると強く迫ったところ、29日の決定には固執しないということになり、丁寧な審理を重ねて要請したうえで退出した。実際、東京都関係の意見書提出は27、28日の両日にわたり、28日に審理を終えることは「結論が先にある」という悪意に満ちたものしかあり得ないことが明らかになっていった。被申立人らに対する期待と信頼は、ほとんど喪失していた。
そして29日午前10時半、我々の想定通り、やらないといっていたこの日の午後に決定をするという裁判所の連絡が斉藤代理人の事務所に入ったのである。直ちに仮の義務付け・差止めを取下げることを申立人らは決意し、同日正午、申立の取下げ書を提出した。できるだけ信じたいと考えていた申立人ら代理人等関係者を甚だしく愚弄する虚偽である。当初からこの申立を機会に、これを却下したうえ、さらに申立人の即時抗告についても高裁で却下し、三菱地所らの解体に二重のお墨付きを与えようとした背信と虚偽は許し難いものがあり、これは単なる忌避事由の存否の問題にとどまらない。
(6)虚偽の上塗りは、さらに酷く異常としか言いようのないものになっていく。29日正午に申立は取下げられたのであるから、訴訟法のイロハであるが、これで事件は終了である。ところが、同日の夕方何時頃か定かではないが、被申立人は、あろうことか「決定」なるものを出してしまったのである。本件申立人ら代理人団の中には50年近いキャリアを持つ者もいるが、かかる経験をした者はいない。前代未聞とはこのことである。かかるものが裁判所の決定であり得るはずがない。明白な違法があって、明らかに無効な「裁判」とはこのようなものをいうのであろう。
その中身を検討する程の価値はないが、あえて少し触れるならば、申立人らの請求を、原告適格なしとして全て斥け、三菱地所側の解体にまさに意識的に加担しているといわれても仕方のないものであるうえ、申立を取下げた後に決定を出したことの弁明について、事実に全く反する虚偽を述べて申立人らの名誉と人格を甚だしく毀損しており、公正な決定とはおよそ正反対に位置することが一読して明らかになるものである。
この結果に三菱地所側が大喜びで解体に着手したものの、本来大義名分のない解体であるために、その責任は重く、簡単には進められない状況にある。

結び
 去る11日(火)午後2時、既指定の口頭弁論期日が開かれた。被申立人は開廷直後から申立人代理人に次々と追及されたが、何ひとつ答えられず、最後に「弾劾裁判でも何でも、どの場でも出ます。公正な裁判ができないと思うならば忌避の手続をされたらよい。」と発言し、自らに引導を渡している。
 以上で、被申立人には公正な裁判を妨げる事情が充分過ぎる程あることが明確なばかりでなく、被申立人の裁判官としての適格等も問われることになろう。
以 上


疎 明 資 料
本件一件記録のほか、
疎1号証   渋谷区提出の上申書(解体工事届出書)
疎2号証の1 本案原告ら提出の上申書(平成23年9月1日付)
疎2号証の2 同 上申書の補充書(平成23年9月2日付)
疎3号証の1 訴状(義務付け・差止め追加的併合申立)
疎3号証の2 仮の義務付け・差止め請求の申立書(平成23年(行ク)244号)
疎4号証   仮の義務付け申立の取下げ書(平成23年9月29日付)
疎5号証の1 仮の義務付け申立却下決定本文(平成23年9月29日付)
疎5号証の2 上記の更正決定本文(平成23年9月30日付)
疎6号証   即時抗告申立書(平成23年10月4日付)
疎7号証   即時抗告申立書(平成23年10月6日付。更正決定をうけて提出し直したもの)
疎8号証   補正命令(平成23年10月7日付)
疎9号証   即時抗告の取下げ書(平成23年10月11日付)
疎10号証  9月2日から10月7日にかけて行われた新聞各紙報道のまとめ
疎11号証の1 5月24日の本案弁論更新陳述の記録
疎11号証の2 7月6日の本案弁論更新陳述の記録
疎12号証  斉藤驍(本案弁護団長)陳述書
スポンサーサイト

comment

管理者にだけメッセージを送る

No title

国の法律は、弱きものが不利益を被らないように、国民がその法のもとに守られ、国民も法を遵守する。と考えていました。

しかし、最近の法曹界も、政治の世界も、会社も、上に行けばいくほど、そうではない人ばかりなんですね。

No title

羽澤ガーデンが『渋谷区』にあった不幸。
でも、文化財は、区だけのものではありません。
歴史的建造物は、都や、国の財産でもあります。
近隣住民や、羽澤を愛してやまない人だけのものではないのです。

No title

「弾劾裁判でも何でも、どの場でも出ます。公正な裁判ができないと思うならば忌避の手続をされたらよい。」

この発言だけでも、忌避に十分値すると思うけどな・・・
弾劾裁判でも・・・とか・・・
そんなことより、「保全」でしょう

そんなこと、誰が見たってわかる。
解体が始まれば、裁判の意味そのものが消失するんですから・・・
それが分からなくても、司法試験に通れて、何年も国の中枢の仕事が出来るんだ・・・

人事異動

まか、不思議な人事異動ですね。
どうしてこんな裁判官がやって来たのか?
こんな裁判官だからやって来たのか?

意外と、三菱地所の会長とか、役員とかの学生時代の仲間だったりして・・・これ以上長引くと企業イメージが悪いと判断して、何年も前から人事の仕込みと根回しをしてたりして・・・
意外と、親戚とか、友人、知人、先輩、後輩・・・法曹界も政治も民間も結構こっそり繋がってるからね・・・

No title

小林邦夫裁判官に対して、裁判官忌避の申し立て

賛成に一票!!

No title

九州電力と佐賀県知事も繋がってたしね。
あっちもこっちも・・・どうしてこうも、節操がないことを平気でやれるんだろうね。頭は良いんだろうけど、権力に弱くて、お金にはもっと弱くて、正しい心は、悪魔に売らないと、這い上がれないのかしらね。

グランドメゾン文京目白坂

第1回期日
12月20日(火)11:00
東京地裁 705号法廷
原告の意見陳述があります。
原告代理人は日置雅晴弁護士、農端康輔弁護士。裁判官は羽澤ガーデンと同じです。
最新記事
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
QRコード
QRコード
ブログランキング
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
なかのひと
なかのひと
カウンター
情報提供求む

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。